淀川神社について
私の氏神様が大阪市都島区の毛馬町にある、この淀川神社になります。
小さな神社ですが、私にとっては時間さえあれば立ち寄って手を合わせる大切な場所です。
私が思う、氏神さまについてはこちらのページから
境内の案内をみると、平安時代の初期には現在の淀川神社がある毛馬町の隣町にあたる友渕町という地名が記されており、淀川河口の海賊を取り締まる役目を見守る為、十五の神社の神様を守護神として祀っており、十五神社と呼ばれていたそうです。
かって、友渕村にはその十五神社が、毛馬村には八幡大神宮がそれぞれの氏神様としてあったのですが、明治42年の政府の命令で、強制的に八幡神社は同じ都島区の櫻宮神社へ、十五神社は旭区にある大宮神社へ合祀されてしまい、私の暮らす毛馬・友渕地域では氏神様が無くなってしまったそうです。
それから50年、地域の方々の神社復興の願いが叶い、昭和28年10月22日に旧十五神社の社殿と境内地を使って、毛馬・友渕・大東地区の氏神様として、現在の淀川神社が鎮座されたという歴史があります。
私は重ね重ね縁があって、毛馬町へ戻るまでの10年ほどの間、結婚前には櫻宮神社、子供の小さい頃は大宮神社を氏神さんとしてお参りしていた時期があります。
今、こうしてブログを書きながら写真を眺めていて気がついて、そのことに感動している次第です。
いつも何気に眺めていた拝殿の入り口に淀川神社の御祭神が書かれてるのですが、神様が十五。なるほど、本当に十五神なんだなと淀川神社の歴史を一つ体感しました。
【天照大御神】【住吉大神】【生野大神】【八幡大神】【稻荷大神】【加茂大神】【松尾大神】【大原野大神】【子守大神】【春日大神】【布留大神】【広田大神】【熊野大神】【白山大神】【三十川大神】
子供の頃から何気に手を合わせてきた淀川神社ですが、こうして手を合わせるようになり、興味を持つようになるまでには何十年もかかりました。まだまだ、知らない事は沢山ですが、何かの縁で巡りあい、一つづつ解き明かしていく楽しみは何事にも代えがたいものです。
摂末社
末社には紀州加太 淡島神社と稲荷神社があります。
紀州加太 淡島神社(あわしまじんじゃ)
御祭神は少名比古那神(すくなひこなのかみ)。神代の昔、人のみならず、鳥や家畜に至るまで諸病を直す薬法をお定めになり、女性の幸福を特に御守護下さり、婦人病に関らず丈夫な子を持つと信ぜられ古くから婦人病に効験あらたかとみなされてきました。医薬の親神さまと称えられる御神徳の高い神さまです。
和歌山の加太にある淡島さんへは何度もお参りしたことがあります。こんなに身近に淡島さんが居たことに、また深い縁を感じました。
稲荷神社(いなりじんじゃ)
全国に20000御祭神は宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)。五穀豊穣、殖産の神であり、福富円満、商売繁盛、家内安全、社運隆昌の御神得を有します。
夏祭りと秋祭り
子供たちの枕太鼓、境内とその周りには夜店が出て、沢山の人が訪れる淀川神社の夏祭り・秋祭りは氏子の方の楽しみの一つです。
与謝蕪村
淀川神社の境内には蕪村像があります。
江戸時代の俳句で有名な与謝蕪村は、八代将軍吉宗が将軍になった年に、摂津国東成郡毛馬村に生まれました。
蕪村はこの地で生まれて、十五神社・八幡神社の祭礼などに眺めながら育ち、今の世になっても知られる活躍をするようになったということです。
二十歳になる前に毛馬を離れ、以後この地に戻ることは無かったそうですが、晩年には毛馬に帰省する少女を描いた俳誌を作ったそうです。
蕪村像は、大阪文化の活性化を目指すNPO法人により、2016年に設置されました。
淀川神社の御朱印
淀川神社へのアクセス
淀川神社公式サイト >>> こちらから
電車でのアクセスだと、JR環状線の桜ノ宮や地下鉄谷町線の都島からの徒歩となりますが、結構な距離があって、20分ほど歩くことになります。
市バスでのアクセスが便利。JR大阪駅のバスターミナルから、34系統「守口車庫」行き「毛馬橋」を降りて信号を渡って直ぐです。