大阪に暮らす人間でも、ここで住んででもなければ、この地に詳しい人って、そんなに居ないのでは無いかと思います。そんなディープな大阪の街が西成です。
この界隈には新世界や飛田新地を始め「大阪ならでは」を楽しむことが出来る繁華街です。その西成の中でも一昔前は近寄ることもためらわれた、更にディープな山王町界隈にあるのが松乃木大明神です。
地下鉄御堂筋線の動物園前で下車、昭和な匂いがプンプンする、動物園前一番街商店街を南へ、スーパー玉出の裏、西側にありますが、はっきり言って分かりづらいと思います。
これで何度目かのお詣りですが、今でこそ迷わずにたどり着けるものの、最初に訪れた際はは随分迷いました。
画像にあるように、鳥居に収まるだけの小さな神社ですが、私がここへ訪れて、時折手を合わせる様になったのは「猫塚」の存在を聞いてからのことです。
猫塚とは?
猫塚が作られたのは明治34年と、神社としてはまだ新しいかもしれませんね。
三味線の皮になっていた猫の供養のためにお社と同時に建てられたんだそう。当時、この界隈で働いていた遊女たちからも、建立の際には沢山の寄付が集められたと言います。
三味線は、永禄、室町幕府の時代に沖縄から「三線」が隣町の堺の地へと伝わり、その後全国各地へと形を変えながら伝わって行き、今日の姿がある、というのが定説となっています。
沖縄の三線はニシキヘビの皮が使われますが、いわゆる内地の三味線は猫や犬の皮が使われる為にこんな塚が作られたんだと想像出来ます。
今の時代、猫や犬を楽器に使用するということに抵抗感を持つ方も少なくない為に、その是非はともかく、今の時代は三味線の材料が手に入らず、三味線の奏者は苦労しているとの話は嫌というほど耳にします。
確かに、猫はお腹の皮が使われ、その皮には乳首の後なんかが見られます。私も愛猫と暮らしているので、お腹を撫でると、時折「お前は生まれたのが今の時代で良かったな」などと思いますね。
猫塚は、画像では分かりづらいかもしれませんが、背丈ほどもある大きなものです。
私も、三味線奏者の端くれ(沖縄三線ですが)なので、近くに立ち寄ることがある際には、こうして努めて手を合わせるのです。
薬師如来
鳥居の神社の中に、仏教の中の如来の一尊である薬師如来です。
松乃木大明神は、明治の時代に建立されたという話ですが、その時代には既に神仏分離が進められていたはずですから、いかにこの地が自由な場所で、心のままに神仏に手を合わせていたのだろうなと、思わせますね。
ご存知の方は多いと思いますが、薬師如来は、病気を平癒し、身心の健康を守ってくださる仏様です。場所柄、色んな病気も多かったのかもしれませんね、健康は何時の時代も切に願われることだったのでということです。
近松門左衛門の牌
平安堂近松巣林子信盛碑と書かれた、近松門左衛門の牌があります。元は、今の天王寺公園にあったものを、この地に移してきたらしいという話を、掃除をしているご近所の方からお聞きしました。
近松門左衛門は江戸時代に活躍した浄瑠璃、歌舞伎作者として知られ、「曽根崎心中」などの代表作は、現在に至るまで、300年以上も上演されている大ヒット作、内容は知らずとも、曽根崎心中という題名は聞いたことがある方多いのではないでしょうか。
ちなみに、碑に書かれた、「平安堂」に「巣林子」というのは、氏のペンネームなんだそうです。
芸事ので栄えた街らしく、近松門左衛門にあやかろうと言うことだろうと想像。界隈は、とにかく芸能の街だったということですね。
毎年秋の終わり頃には、近松猫塚芸能祭なども開催されている様子です。
御朱印はないのかも?
残念ながら、清掃をされているご近所の方に訪ねても、社務所もありませんし、御朱印の存在は確認できませんでした。
御朱印があるとすれば、三味線が書かれた御朱印があるんじゃないかなと思いますが。
アクセスと駐車場情報
地下鉄御堂筋線・堺筋線『動物園前』が一番近いと思います。その他、天王寺方面からブラブラと歩いても良いし阪堺線や南海本線など、ぶらぶらと界隈を散策しながらアクセスすると楽しめるかと。
既に書いたとおり、入り組んだ路地の奥にある小さな神社です。スマホのナビを活用して「大阪府大阪市西成区太子2-3」を目指して辺りを歩けば良いです。人影があれば、尋ねれば一発で教えて貰えると思います。
もちろん、神社に専用の駐車場などはありませんから、車でのアクセスの際には、界隈のコインパーキングなどを利用することになります。