骨佛とお施餓鬼のお寺 天王寺の一心寺

一心寺について

天王寺 一心寺

お骨佛のお寺として知られる、法然上人が開基した浄土宗のお寺が一心寺です。

豊臣と徳川の戦いで知られる、大阪の陣では、徳川家康が陣を置き、家康は境内の坂にあった松の姿を讃えて、「坂松山」という寺額を贈ったことで知られています。

昔から大阪は、各地から沢山の人が大阪に移り住み、商人の街として栄えたことはご存知の通りかと思います。

一心寺では、それらの故郷を出て菩提寺をもたない人、誰もが宗派を問わずお参りし、先祖供養が出来るようにと山門を開いたため、大勢の方が訪れるお寺となりました。

今では、全国各地からお骨佛にと納骨される方は年を追って増えているのだと言います。

何時でもお参りにいけるようにと、私の身内が何名も分骨してお骨佛になっているので、私にとっては折に触れて手を合わせに行く身近なお寺が一心寺です。

上町台地の端にあったこの地は、大阪湾を見渡すことの出来る美しい場所として知られており、特に夕陽が美しいことから、あたりは今でも夕陽丘という地名が残っています。

>>> 一心寺の公式サイト

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お骨佛 納骨について

一心寺 納骨

日本では、古来から霊場への納骨や納髪の風習があり、一心寺でも、江戸の時代からお施餓鬼法要の際に持ち込まれる遺骨があまりにも沢山になり、明治二十年に、五万体の遺骨を粉末にして布海苔を加えて仏像を造立し、「世界でも例のない骨佛のお寺」として全国に知られることとなりました。

以後、十年に一度、新しいお骨佛が作られ続けています。

第二次世界大戦の際に、初期のお骨佛は一心寺と共に焼失してしまいましたが、戦後、直ぐに新しいお骨佛が作られ、平成三十年現在、八体のお骨佛が安置されています。

 第7期お骨佛 昭和23年(1948年)
 焼け残った戦前の6体の遺灰と戦後納骨された22万体の遺骨を合わせ造立
 第8期お骨佛 昭和32年(1957年)
 昭和23年から31年までの納骨約16万体で造立
 第9期お骨佛 昭和42年(1967年)
 昭和32年から41年までの納骨約15万体で造立
 第10期お骨佛 昭和52年(1977年)
 昭和42年から51年までの納骨127,619体で造立
 第11期お骨佛 昭和62年(1987年)
 昭和52年から61年までの納骨145,664体で造立
 第12期お骨佛 平成9年(1997年)
 昭和62年から平成8年までの納骨150,726体で造立
 第13期お骨佛 平成19年(2007年)
 平成9年から18年までの納骨163,254体で造立
 第14期お骨佛 平成29年(2017年)
 平成19年から28年までの納骨約22万体で造立

ちなみに、時期のお骨佛の造立開眼は2027年の初夏だということです。

納骨の申し込み方法

一心寺 受付

納骨の際は、あらかじめ予約をする必要はありません。(受け付けていません)年中無休で9時から16時まで受付していただけ、受付順に本堂にて焼香します。

大晦日は11時で受付終了、またお盆やお彼岸などの混雑時には時間帯を拡大して対応していただけるようです。

一心寺の山門を入って右手にある念佛堂が受付場所です。

納骨申込書に施主住所・氏名・故人の死亡年月日・俗名・法名(戒名)などを記入例に従って記入、たったこれだけの手続きです。納骨冥加料金もここで申込みの際に一緒に収めます。

納骨冥加料金
小(小骨・分骨用)大(胴骨・全骨)
1万円又は、1.5万円又は、2万円1.5万円又は、2万円又は、3万円

これでは少し分かりづらいかもしれませんね、、不明点は電話をして尋ねれば丁寧に教えていただけます。

納骨時に用意しておくもの

遺骨は風呂敷に包んで持参します。

故人の氏名と死亡年月日、法名を用意して、火葬許可を用意します。コピーは不可ですから、紛失などの際には役所で再発行してもらう必要があります。

分骨の際にも、先に納めてある墓地などが発行する焼骨埋蔵証明書か分骨証明書が必要となります。

また、本堂・納骨堂でのおつとめとなりますので、数珠も持参するようにしましょう。

納骨の手順

念佛堂にて受付を済ませたら、お骨と経木を受け取って本堂へ入り、回向座の受付机に提出して、順番を待って焼香します。

その後、指示に従って納骨堂へ移動し、お骨を納めます。

私の祖母の納骨の際は一時間ほどの時間がかかりましたが、混雑時にはさらに時間がかかるのは間違い無いと思います。

納骨の際の服装

一般的には、四十九日までの納骨の際は喪服が基本、四十九日以降は地味な平服でも良いとされていますが、各家の決まりごとなどに合わせるのが大切で、一族の年長者に尋ねるのが一番間違いないかと思います。

一心寺では堅苦しく、服装は○○で、という決まりは無い感じです。あまりきらびやかにならないようにとのことです。

納骨の出来る宗派について

一心寺では宗派を問わずに納骨を受け付けています。

とはいえ、本当のところは直接一心寺に訪ねたわけではなく、聞いた情報になりますが、仏教を否定するとして、創価学会員は拒否されるという話を聞いたことがあります。

一心寺の法要

一心寺の法要

年次納骨供養大法要

毎年4月21日に行われる、前年度の納骨各家を招いて営まれるのが「定例納骨法要」です。

お知らせは、丁寧に葉書が届きます。

おせがきの法要

お施餓鬼とかいて「おせがき」と読みます。

仏教の世界には6つの世界、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と呼ばれる六道があり、その中の一つである餓鬼道に堕ちて苦しんでいる無縁仏を供養するのが施餓鬼法要で、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる魂を供養するものです。

お施餓鬼をすることは自分自身にとっても生前の功徳となり、その行いはご先祖様への供養にもなるのです。また、自分自身の中にある「餓鬼」の心を反省するという意味もあるのだとは、一心寺に骨佛となっている、亡くなった祖母の教えです。

通常はお盆やお彼岸に行われるお施餓鬼ですが、一心寺では年中このお施餓鬼法要が行われているのです。

お盆やお彼岸の週末には、大変な人出で、待ち時間もかなりな覚悟が必要です。申し込みだけで一時間の待ち時間などもざらです。

本堂屋根耐震強化大修理に伴って、平成30(2018)年5月7日~平成31(2019)年12月末日までおせがきは休止されます。

おせがきの冥加料
300円
500円
1000円
2000円
3000円
5000円
10000円
おせがき
法事(年忌回向)
開眼(お正念入れ)
撥遣(お正念抜き)

開眼:お位牌、仏様などを新たにお祀りされるときのお正念入れ
撥遣(はっけん):お位牌、仏様などのお祀りをやめるときのお正念抜き

大施餓鬼法要と冥加料

別堂で、当家だけの法要をおこなっていただけるのが大施餓鬼法要です。

こちらは完全予約制で6ヶ月前から1ヶ月までに、電話か直接一心寺にて申し込みをします。

冥加料は10万円~30万円です。

永代祠堂(永代供養)

永代祠堂を申し込むと、33年間もの間、年忌の案内が届き、当日に足を運ぶことが出来なくてもしっかりとご回向していただけるというものです。

ちなみに、永代供養というのは、寺院などが遺骨を預り供養を行ってくれるというもので、時代の移り変わりとともに、最近はお墓をもたない供養方法として、利用する方が急激に増えていると言います。

永代供養にも色々とあって、お墓を建てて供養するものや石碑などに集合させるもの、他の方と混ぜて納骨するタイプなど、様々です。

一心寺のお骨佛も永代にわたって供養していただけるものだと思います。お金が無いから一心寺へ、みたいな話も耳にしますが、沢山の方が毎日お参りに来て、線香の煙が耐えることのない境内は、故人にとっても賑やかで寂しがることも無いなと、何時足を運んでもそう思います。

永代祠堂(永代供養)の費用

永代祠堂(永代供養)の費用は10万円からとなっています。

33年間もの期間を思えば、リーズナブルな料金設定では無いかと思います。

一心寺の境内紹介

一心寺の境内

個人的に足繁くお参りする、一心寺の境内を紹介します。

山門の仁王像

一心寺の山門

もともと一心寺の山門は、大阪城の三の丸の玉造門を移設した「黒門」と呼ばれた大きな立派な山門だったと言いますが、大阪大空襲でお骨佛と共に焼失してしまいました。

現在の山門は、平成9年の4月に、第十二期のお骨佛の開眼大法要に合わせて、二年をかけて建立された仁王門です。

お寺には似つかわしくないとも思わなくは無いですが、近代的なそのデザインもまた、かっての「黒門」をイメージしたものだとか。

迫力満点の五メートル余りの青銅像は、彫刻家の神戸峰男氏による作で、阿形像はこころの邪念を戒め、口を閉じた吽形像は世の乱れを睨んでいると言います。

何度訪れても見入ってしまう山門です。

お骨佛堂と納骨堂

一心寺のお骨佛堂と納骨堂

本堂の向かって左側に「お骨佛堂」「納骨堂」が二つ並んでいます。こちらが遺骨で作られたお骨佛が安置されているお堂です。

第二次世界大戦前に開眼した六体は、大阪の空襲の戦火によって焼失してしまいましたが、昭和23年に、焼け残った六体の位牌と戦後に納骨された遺骨と合わせて、戦後はじめての一体目が開眼。

一心寺のお骨佛堂と納骨堂

以後10年毎に造立され、現在は(平成30年)お骨佛堂に四体、納骨堂に四体のお骨佛がお祀りされています。

納骨堂は昭和32年、お骨佛堂は平成23年に出来ました。

お骨佛堂と納骨堂の前にある灯屋(あかりや)にはろうそくの灯りが、お堂の前の大香炉では灯りとお線香の煙が絶えることがありません。

一心寺の桜

一心寺の桜

桜の季節になれば、見事な桜が参拝者を楽しませてくれます。

特に山門周りの桜は見事です。

山門と桜、神社仏閣の風景を楽しめるのは我々日本人の特権なのは間違い無ないでしょう。

縁の下の力持ち

一心寺 縁の下の力持ち

一心寺と言えば、私の中で、強烈な印象として残っているのが、子供の頃に祖母教わった縁の下の力持ち。

本堂前の両脇でしっかりと本堂を支えているのでしょう。

もう何十年も前の話なのに、お参りに来るたびに思い出すのです。

断酒祈願 本田忠朝の墓

断酒祈願 本田忠朝の墓

本堂の真向かいに、土堀で囲われた五輪塔墓碑があります。

1615年の大坂夏の陣で討ち死にした本田忠朝のお墓です。徳川家康公の四天王の一人と言われた本多忠勝の次男なのですが、お酒の失敗が元での討ち死にと言われていて、

死に際には、深くお酒を悔い死後は酒のために身を誤るものを助けんと誓ったと言われ、お酒に苦しむ人やその家族が断酒祈願に訪れる様になったそうです。

断酒祈願 本田忠朝の墓

お墓の周りの土堀の壁には、祈願文が書かれたしゃもじで埋め尽くされています。また、お墓の石を粉にしてお酒に混ぜて飲むと効くとも言われていて、言われてみれば、ずいぶんと墓石は減っている様な気もします。

しゃもじは、山門下のお茶所にて(冥加料 1本300円です)入手出来ます。また、祈願回向も受け付けていて、念佛堂の受付所にて申し込みをします。(回向料2千円です)

御朱印は寺務所にて

一心寺 御朱印

一心寺の御朱印です。

「日想観殿」という文字が書かれています。

一心寺を開基した、法然上人がこの地で西の海に沈む美しい夕陽を見て、念仏を唱え極楽浄土を願う修行「日想観」を修したことが、一心寺の始まりだ、そんな話を、御朱印帳を戻していただく際にしてくださいました。

何年間もの間、各地の寺社へお参りしてきましたが、御朱印に書かれた意味を説明いただいたのは初体験でした。物凄く丁寧な対応に感謝です。

一心寺 御朱印

本堂の向かって右手にある、こちらの寺務所でいただきます。

山門の扉の天女をなでて多福のご利益

一心寺 山門扉の天女

山門の扉には左右に二人づつ、四人の天女が浮き彫りにされていて、この天女の胸と腰に触れて、多福のご利益をさずかるのだとか。

誰か同行者でもいればまだしも、常に沢山の人が通り過ぎる山門で、良い歳をした親父が一人、腰などを撫でている姿は人に見せられたものじゃありません。

なかなかハードルが高いパワースポット?だと思います。

家康公を救った霧ふりの松

一心寺 霧ふりの松

一心寺の北門を入って石段を登ってすぐにある、朽ち果てた切り株が「霧ふりの松」と呼ばれるスポットです。

当時、一心寺のシンボル的な大きな松の古木だったこの霧ふりの松は、大坂夏の陣の戦いで、家康公が豊臣方の真田幸村に追い詰められた際、この松から霧が吹き出し、家康公の姿を隠して命を救った松として知られます。

この場所もまた、戦国の時代の歴史を今に伝えるロマン溢れる場所として多くの人が訪れるようです。

納骨堂前の石畳の模様

一心寺 納骨堂前の石畳の模様

先に紹介した、お骨佛堂と納骨堂の前は納骨堂広場と呼ばれていますが、その石畳の模様に目を止めた方はいらっしゃるでしょうか。

言われなければなかなか気が付けないと思うのですが、この模様、仏教の僧侶が身につける「袈裟」の模様なのだそう。

参拝者が大きな袈裟に包まれていることをイメージして作られたと祖母から教えてもらいました。

お参りに訪れるたびに、もっと上空からこの目で見てみたいといつも思っているのですが、流石にこればかりは、叶うことはないでしょう。

一心寺への地図と駐車場

以前は無料の駐車場がありましたが、平成24年に駐車場待ちの車が引き起こす慢性的な渋滞などが問題で、閉鎖されてしまいました。車でのアクセスの際には、界隈のコインパーキングを利用します。

特に混雑する、お彼岸の週末などでも、コンビニがある、茶臼山エントランス駐車場や天王寺公園のち家駐車場などは、比較的、空きが見つけやすいのではないかと思います。

公共交通機関を利用する際は、JR環状線や各線の天王寺駅から徒歩15分ほど、地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅等などがアクセスしやすいかと思います。

JRは「北口(公園口)」、地下鉄の天王寺駅は「6番出入り口」、四天王寺前夕陽ヶ丘駅だと「4番出入り口か5番出入り口」が最寄りとなります。

一心寺へお参りした際には四天王寺へお参りしたり、茶臼山に夕陽丘の散策など、界隈をのんびり歩くのが楽しみの一つになりました。

一心寺の界隈 ぶらり歩き

一心寺の周りは大阪の歴史がたっぷりと詰まった見どころがたっぷりの場所です。一心寺の関係施設も沢山ありますし、お参りの後のお楽しみ、大阪グルメもたっぷりな界隈を紹介します。

三千佛堂

一心寺 三千佛堂

平成14年 一心寺の東となりに再建された三千佛堂では、日曜学校や、法話・説教などが行われています。

そのホールの吹き抜けの外壁沿いは回廊になっていて、お参りする人の寄付によって造立する「千躰佛」がお祀りされているのです。

画像をよく見ると、まだ仏像の無い台座がわかるでしょうか。

これは、21世紀中の100年をかけて、参拝者の寄進を集めて千体を完成するとのことで、まだ「千躰佛」は未完成なのですね。1月1日~12月31日に集まった分をまとめて造立し、翌年4月下旬に開眼・奉安するそうです。

寄進は一口2千円(1000人で造立する「千人寄進佛」)、特別寄進は一口20万円(10人で造立する「十人寄進佛」)があり、堂内に受付書があります。

回廊を時計回りに香を献じながら拝んでまわり、自分の干支にあたる十二神将にロウソクを献じます。

朝9時から午後4時まで自由に参詣することが出来ます。

一心寺シアター倶楽

一心寺シアター倶楽

先に紹介した、「一心寺 三千佛堂」の地下に「一心寺シアター倶楽(いっしんじしあたーくら)」という劇場があります。

お寺という場所は、昔はアミューズメント、カルチャー、コミュニティの機能があり、人々は心のよりどころとして必要とされていた場所であったのです。

シアター倶楽は、そんな人の集まる場所として、広く一般が利用できる劇場として、舞台芸術に限らず、講演会やワークショップ、種々のイベントで利用することが可能だということです。

>>> 一心寺シアター倶楽 公式サイト

茶臼山

天王寺公園 茶臼山

一心寺の境内からみて、南東にある茶臼山です。

画像は茶臼山にある一心寺から寄進された、大阪市の「史跡顕彰の碑」になります。

史跡県顕彰の碑は、市制70周年記念事業の一環としてスタートしました。昭和34年より大阪ゆかりの史跡や文化財の所在地に、顕彰碑や顕彰パネルを設置して、大阪の歴史に関する理解を深める助けとするもので、すでに二百数十箇所もが顕彰史跡に指定され、それらを巡る歴史ファンも少なくないのだとか。

茶臼山の史跡顕彰の碑は「大阪の陣 四百年供養法会」開催のために平成二十六年に建立されました。

大坂の陣では徳川家康や真田信繁の本陣となり、大阪の歴史を語る際には、有名な史跡として知られる茶臼山です。戦国時代ファンなら、一度は訪れたい場所だと言います。

また、茶臼山は5世紀頃の前方後円墳であるとも言われているものの、専門家の間では「古墳ではない」という説もあり、今も議論が繰り広げられているそうです。

茶臼山

色んな話題に事欠かない茶臼山ですが、天王寺公園の一角にあり、歩道も整備されているので、のんびりと散歩するにはうってつけです。一心寺でのお参りの後に、茶臼山を超えて新世界方面へと抜けるコースは個人的なお気に入りの散歩道となっています。

四天王寺

四天王寺

聖徳太子の建立したお寺として名高い四天王寺は一心寺からは10分もかからないほどの距離にあります。四天王寺もまた、私は一心寺と同じ様に足繁く手を合わせている寺院です。

こちらの記事もご覧いただければと思います。

>>> 和宗総本山 四天王寺と聖徳太子

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